FTの株式投資講座> チャートの歴史                                                                  
  チャートの歴史
チューリップ・バブル
ブラックマンデー
ニックリーソン事件
92年8月の衝撃
4000円の暴騰
    93年春
3000円の暴落
    93年秋    
急落と急騰の背景
    94年1月
阪神大震災の恐怖
    95年1月
95年七夕の急騰
  日米協調介入
10 山一證券破綻
 97年金融不安
11 華やかなITバブル
  99年の未来図
12 ITバブル崩壊
  2000年の悲観
13 デフレスパイラル
  2003年4月
   
   
   

 9 95年七夕の急騰−日米協調介入−

 94年6月から95年6月末まで1年間の大幅な下落相場です。1年間が相場の転換点というリズムの1例でも

 あります。チャート的には包み足が95年7月に出て、強力な買いサインとなっています。

 途中、阪神大震災や地下鉄サリン事件があり、6月末に強気で買えた投資家はあまりいなかったと思いま

 す。7月7日の七夕に900円以上暴騰しています。為替の日米協調介入がきっかけでした。当時は超円高が

 進み、1ドル50円という説も多く出回っていました。

 大事なことは、6月に14000円から一度大きく上げ、その翌週再び14000円前半で底が入っているという出来

 事です。ダブルボトムになっていますが、とても次の週に16000円までいくとは思えませんでした。オプション

 の絶好のチャンスでもあったわけですが、まず買えないでしょう。

 もう一つ大事な教訓があります。その後のチャートです。

 

 この暴騰の後、しばらくもみ合って、「上昇相場の保ちあい」「三角保ちあいの上離れ」ということになったこと

 です。8月のお盆の時期に急速に円安が進み、再び暴騰したのです。

 私はその後の9月にほとんど売却したのですが、その後がいけません。

 長い下落に慣れきっていて、その18000円近辺で売りに回って大きな痛手を被ったのです。

 事実、下落しそうなチャートの雰囲気で、3ヶ月のもみ合いで下にいきそうに見えました。底値からは大きく上

 がっていましたので、1部に過熱感も感じられた状況でした。この失敗が実は自分の大きな財産となっている

 ことは、投資の教訓に書いたとおりです。

 相場は本当に厳しいものなんですよね。


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